覚書として、いくつか項目としては掲載しているが、当ブログでも、重複、交差させながら、遺しておきたい。
組織として、その運営として、心得なくてはいけないことは、何であるのか?
制度設計としては、果てはないと考えるが、
第一として、
その制度設計、その制度構造そのものが、批判の対象とすることが許されていなくてはいけない。
同時に、創設者も設計者も、理念としては、偶像化されていいが、現実として偶像化されることは拒絶されなくてはいけない。組織の未来、現在の動きに、妨げが多いからだ。その類(たぐい)の偶像化・フェティシズムのマイナスは、歴史が証明している。もちろん同時に書いておくが、場合によっては、効果的であることもある。
第二として、
自走する集団を構築しながらも、その集団の暴走を止めるものは何か?
その集団の外部と内部に何かしらの、装置を施す必要がある。それを会議の公理とすること。
内部においては、独裁的な実力者を誕生させ、同時にその者に君臨させず、外部においては、その集団の息の根を止めるだけの力を持ちながらも普段は背景でしかない者の存在。矛盾なるこのフレームを考え抜くこと。
社会類型、社会モデルをこのブログで唱えていくのも、このためである。